終わりかけた世界

今時クーラーもない教室だなんて。薄っぺらい教科書に向かって、汗が自由落下していく。
こうやって教科書がまたぼろぼろになっていくんだ、なんて思いながら
汗を拭いながら、黒板をじっと見つめてみた。
紫外線という敵から私たちを守っている正義の味方は、時折吹きこむ食料を取り込み膨らんでいた。
色白な正義の味方を見ているだけで、なんとなく涼しくなったような気がするから不思議だ。
どことなく、風鈴のもっている効果と似ているような気もする。
そうだ、教室に風鈴を下げればいいんだ。そうすれば、きっとみんな涼しくなるんじゃないだろうか!
なーんて、複数人いる敵のせいで私の頭はほとんど活動を停止していた。
うん、今日も平和ですね。


じっと見つめてみた黒板の中では、平家が滅亡へと向かっていた。
荒々しい場面、ではあるのだろうけれど。おじいちゃん先生の声で、全てが台なしである。
大体真夏の5時間目に、平家滅亡なんて話題はそぐわない。
先生たちの中で時間割を組みなおして、『雪国』についてでも語ればいいんだ。
そうすれば、どこかしら涼しくはなるだろう。こころ、とか。
大体こんな平和な日に滅亡、だなんて話題自体がそぐわない。
もっと穏便に『枕草子』についてでも語ればいいんだ。


正義の味方が、また膨らむ。真夏の5時間目は、やはりキツい。
真面目が売りの、目の前に座っている友人でさえ今日は教科書にキスをしている。
いつもは背筋をピンと伸ばして先生たちに質問攻めを繰り広げているというのに。
今日に限っては、とても素晴らしい猫背を提供していた。
きっと彼女のことだから、に出場すれば優勝は確実であろう猫背だ。
……私も、教科書にキスしようかなあ。
ゆっくりと瞼を下ろしてみる。ああ、もう少しで私も全日本猫背コンクールに出場だわ。
出場、できたのに。


正義の味方が、また膨らむ。膨らむと同時に、嗅ぎ慣れた香りが教室内に運ばれてきた。
いつもの香り。私とは、切っても切り離せない香り。
ああもう、これだけ平和な日にどうしてこうなるのかしら。
全日本猫背コンクールへの出場は、どうしてくれるのかしらね。
こころの中で溜め息をつく。まあ、これも仕方がない。「日常」なのだから。
お相手はしますよ、正義の味方がね。
こころの中で悪態(に、なるのだろうか?)をついた、一瞬後のことだった。
いつも自分に自信を持っていない子全員が、粉々になっていく。
ああ、すごい音。いつも思うけど、どうしてもっと優しくできないのかしらねえ。
風鈴と材質は同じはずなのに。轟音をたてて、崩れ落ちていく。
教室中に、悲鳴が充満した。
「みんな伏せて!」
きっとアイツは窓から来る。
いつものように窓から侵入して、みんなに にやあ って哂いかけて
そして、首を
「起きろ!」
すぱこーん。え、何?私やられたの?
何がなにやら分からない。痛くなった首を持ち上げると、目の前にはおじいちゃん先生が仁王立ちしていた。
「本当に、お前はいつもいつもだな!」
「え、はあ……」
「いつも通り、今日もお前だけに宿題だ!次の段落を日本語訳、当てるからな!」
「は、はーい。がんばりまーす……」


「いい加減覚えなよー、アイツには眼ェつけられてるって」
「いや、そう言われてもみんな寝てたじゃん」
「アンタは何故か眼ェつけられてんの。それ、自覚しなきゃ」
「は、はあ……理不尽だわ」
いつも、いつもこうなんだ。あのおじいちゃん先生は、私が嫌い。
いい加減覚えようかなー、面倒だなー。
むう、としながら私は机の中に拳銃を押し込んだ。
と、友人が妙に真面目な顔で振り返る。
「そう言えば、最近みんな休みがちだよねー」
「そうだね、今日なんてクラスの半分しか来てないね」
「今になって風邪かな、なんか季節外れだね」
「そうだね、みんな早く治ればいいね」
そうだね、早く 治ればいいね。


この世界が。